短編映画『三つ子』の製作記録
[文責:佐藤智也]

1.双子との出会い
2.バニシング・ツイン(消失する双子)
3.双子から三つ子へ
4.リアル三つ子の証言
5.二人三役
6.Canon EOS 5D Mark II

メイン画面に戻る
1.双子との出会い

 最初に双子の女優さんと出会ったのは、もう4年ほど前になる。双子にまつわる話はとても興味深かった。思春期の頃は「妹が女の子っぽいファッションをするのなら、自分はボーイッシュに」とか「離ればなれになることにとても恐怖を感じた」とか。
 自分の姿見のような存在を身近に置きながら人格形成していく。離れようとしたり、離れられなかったり、別々の道を行こうとしてまた同じような道で出会ったり。双子でなければ経験できないことのように感じられた。

 双子で何かストーリーを作れないかと思い、その後いろいろと聞き取り調査。双子の姉たちがいるその下の妹さんにも話を聞いた。「子供の頃イヤだったのは、大人たちが『お姉ちゃんたち、どっちが優しい?』と聞くことだった」という。妹は姉ひとりひとりに接しているのに、周りの大人がすることといったら、両者の比較。

 人は誰でも、誰かと比較されたくないものだ。「誰々に比べて、あなたは○○だ」。そう言われたくはないだろう。しかし、双子は生まれながらにして格好の比較対象がすぐそばにいる。

 比較される苦しみを描いた傑作は、萩尾望都の『半神』だ。腰のあたりで体がくっついているシャムの双生児の姉妹の話だが、2人分の栄養が行き渡らないため、1人は美しく1人は醜い。醜い姉は常に周囲から妹への誉め言葉を聞かされるのだ。「愛よりももっと深く愛していたよ、おまえを。憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよ、おまえを」
 双子の相方に対する気持ちは、双子でない人には分からない。でも、自分以外の人に対して時に抱く強い気持ちの記憶は、誰でも持ち合わせているはず。そこらへんを手掛かりに、衝突し和解する双子の設定ができないかと考えた。

 あと、もう一つ分かったこと。双子がうんざりするほどよく聞かれる質問。「双子の間にテレパシーってあるんですか?」

 ないそうです。

Diane Arbus photograph, Identical Twins, Roselle, New Jersey, 1967.



萩尾望都『半神』
2.バニシング・ツイン(消失する双子)

 双子について調べていくうちに、もう一つ興味を引かれたのがバニシング・ツインという事象。妊娠の初期に双子と診断されるが、1人がいつの間にか消えて1人だけが生まれることをいう。消える1人は、母体に吸収されてしまう。産婦人科においては、そんなに稀なケースではないらしい。

 そこから発展して、哺乳動物は一匹だけで生まれることの方がむしろ少ないから、ヒトも本来は双胎生殖で、1人がバニシング・ツインとなって消失して、1人だけが生まれるから単胎生殖に見えるだけではないかという説もある。
 双子はミラー・ツインといって右利きと左利きに分かれることが多いが、双子ではない1人が生まれる場合に親からの遺伝に関係なく左利きの子が生まれることがあるのは、バニシング・ツインで説明がつく。右利きの子が消失しているから、ということだ。
 つまり、双子でない人間は生まれながらにして誰かを押しのけて自分だけが生き残っているのだ。

 最初に出会った双子の女優さんは海外に移ってしまったので組むことはできなかったが、別の双子女優と出会い(というか、私が「双子の女優はいねぇが?」と触れて回っていた)、この企画を実現できそうな気配になってきた。

[このページのトップに戻る]


3.双子から三つ子へ

 しかし、双子が出てくる映画や小説は山のようにある。双子のどちらかが犯人と思われるミステリーは、大抵の場合、両方とも犯人か、両方とも犯人じゃないか、のどちらかじゃないのかな。

 最近の映画技術では1人の俳優をCGで2人に見せてしまうことも可能だ。その場合、観客が混乱しないように極端な性格分けがなされる。たいていは、外向的内向的
 『アダプテーション』ではニコラス・ケイジが双子役で、行動的なニコラス・ケイジと内気なニコラス・ケイジが2人同時に映ると、画面がどうにも暑苦しい。一方、性格の微妙な描き分けがスリリングだったのは、ジェレミー・アイアンズが双子を演じた『戦慄の絆』だ。

 双子ものはジャンルとして珍しくない。だったら、三つ子にしてしまえ。三つ子ものってあまりないだろ。『おそ松くん』に至っては、唯一無二の六つ子ものだ。

 という、いい加減な発想だったのか? 実際のところ、いつから三つ子の話にしたのか覚えていない。おそらく双子で面白い設定が作れなくて、破れかぶれの打開策として思いついたようなもんじゃないかな。

 でも、女優は2人しかいないじゃん。どうすんの? まぁ、CGでいいか。
 性格は外向的内向的と、もう一つは何だ?

[このページのトップに戻る]

デビッド・クローネンバーグ監督作品『戦慄の絆』



『三つ子』より(写真デザイン:内海 由)
4.リアル三つ子の証言

 双子にはたまに出会うが、三つ子にはさすがに出会わないだろうと思っていたら、人づてに紹介された。映画の参考にお話を伺えればとお願いして、一卵性の三つ子さんのうちの2人にお会いすることができた。
 お会いして開口一番言われたこと。「私たち、テレパシーはないですからね」

 やっぱりないそうです。

 双子と三つ子の決定的な違い。それは、双子が対立した場合、1対1にしかならないが、三つ子は2対1に分かれる可能性があるということ。
 その三つ子さんたちから聞いた話。子供の頃の喧嘩は、まず三つ子のうちの誰かと誰かが対立して始まる。喧嘩の外にいた1人が、論理的あるいは感情的にどちらかの味方につく。2人になった方が必ず勝つ。
 絶対的な数の論理。キャスティングボートを握る第三の存在。それが3人の間で役割が決まっているわけではなく、その場その場の状況によって変わるという。

 そしてもう一つ重要なことを教わった。一卵性三つ子の間ではバニシング・ツインと同じ状況が起きている可能性がある。つまり、受精卵は三等分されないということ。2つに分かれて、それぞれが2つずつに分かれて4つになった後、1人が消えている(2つに分かれた受精卵の一方だけが分裂した可能性もあり)。実際に、その三つ子さんは左利きが2人に右利きが1人だった。バニシング・ツインならば、右利きの子が1人消失したということなのだろう。

 というように、三つ子さんのお話は非常に面白く、いろいろ参考になった。三つ子さんには「怖い映画にしないで下さいね」と言われる。

[このページのトップに戻る]


5.二人三役

 映画において一人二役はたびたびあるし、二人一役という斬新な手法もルイス・ブニュエルが『欲望のあいまいな対象』でやっている。知性的なキャロル・ブーケと肉感的なアンヘラ・モリーナが2人で一役を演じる。1カット内でも2人は入れ替わったりするが、劇中の人物は誰もが何の変化も感じずにその1人の「彼女」に接するのだ。
 ところで、二人三役の映画って、今まであっただろうか?

 双子の女優で三つ子をつくる。そのために、最初は配役を決めないままリハーサルに入った。2人の役を何度も入れ替えてテストしながら、役作りをしてもらった。
 2人は見間違うほど似ている双子ではなく、演技のタイプも違う。なので、観客の混乱を避けるための極端な性格分けをする必要もなく、使い分けの計算が立てやすかった。一方で、2人はカットによってはボディダブル(代役)もこなしている。まさに2人がかりで3人をつくった感じだった。

 結果として、撮影プランは複雑怪奇なことに。例えば「Aが見ている視線の先がBとC」なんだけれども、「BとCを演じているのはAの役者とBの役者」などという場面もあったりする。映画内の時間順に撮影していたら、2人は目まぐるしく着替えて、何度も役を渡り歩かなければならないことになる。1人が同じ役をやっているカットをなるべくまとめて撮影できるように、さらに舞台転換や照明の都合も考え合わせると、撮影の順番はパズルのようにややこしくなった。
 結局、現場では2人に何度も何度も着替えてもらうことになったが、それでも着替え回数は最少で済んだ(はず)

 CG合成もややこしかった。3人が同時に映るカットは当然、合成である。A、B、Cと並んだ場合、どの役を2人のどちらが演じるのが、前後のカットとつながりがよいか。また、着替えが少なくて済むか。
 合成のカットを撮影しようとしたところ、2人の見た目が判別しにくかったので急遽合成をやめて、そのまま撮影してしまった箇所もある。観客にはどちらがどちらを演じているのか、あるいは合成なのか吹き替えなのか、分からないカットがいくつかあると思う。

 1人の俳優をCGで双子や三つ子にすることも可能だ。しかし、見た目の問題以上に、実際に双子の俳優を使った方が、この映画のテーマをよく表せたように思う。似ているが違う人間という点において。

[このページのトップに戻る]

ルイス・ブニュエル監督作品『欲望のあいまいな対象』



『三つ子』撮影風景
6.Canon EOS 5D Mark II

 撮影に使ったカメラはCanonのEOS 5D Mark II。最近はやりの、デジタル一眼レフカメラ動画モードによる撮影だ。

 この手の撮影の長所は、ボケ足がきれいなこと。背景がきれいにボケる(被写界深度が浅い)というのは表現の上でとても大切なことで、画の中の何にフォーカスを合わせるかを選ぶことができる。見せたい物を浮かび上がらせることができるのだ。今回組んだカメラマンがもともとスチールのカメラマンであったため、取り替えのできるレンズを豊富に持っていたというのも強みだった。

 一方、元がスチールカメラであるが故の弱点も。画の中の動く対象に合わせてフォーカスを変える(送る)という作業が、なかなかしづらい。スチールカメラのフォーカスリングは撮影の途中で動かしやすいようには作られていないのだ。撮影現場で私もフォーカス送りをしたが、見事にしくじった。
 また、1秒24コマでの撮影ができない。1秒24コマというのはフィルムの撮影スピード。ビデオは1秒30コマなので、24コマの方が映画らしい映像になる。

 それでも5Dの映像は美しく、まさにスチールの写真集そのまんまの映像だ。
 映画で大切なのは、何を見せるかではなく、何を見せないかだ。フォーカスの取捨選択を考えて何にピントを合わせるか何をボカすかを決めていくと、あらためてそう思う。

[このページのトップに戻る]


メイン画面に戻る